本格的に写真を始めたのは、5年ほど前だったでしょうか。
その頃から、とっつきやすいスナップ写真を撮っていました。
常にカメラをカバンに忍ばせ、合間をみてはパシャパシャと辺り構わず撮影。
まぁ、最初ってカメラが触りたいだけなんですけどね。
そんな日々が続き、機材についても本格的に考え始め、とうとうフルサイズセンサーのカメラに手を出しました。今流行のミラーレスをチョイスしたことでレンズ代が高騰、自由なお金はほとんどがカメラ機材代として消えていく羽目に・・・。
思わぬ一枚が生まれる、スナップ写真に陶酔
スナップ写真の良さ、それは唯一無二の一瞬を切り取る快感。
今だ、とシャッターを切ったその写真が自分の想像を超えた「作品」へと変わったとき、何物にも代えがたい感動に包まれます。
しかし昨今、スマホが写真機の主流となり、1人で一眼カメラなどをぶら下げてウロウロしている状況は、実に遠慮しがたい光景ではあります・・・。
そこで、編み出したのが妻と一緒に写真を撮りながら、散策することでした。
2人で歩いていることで、一眼で辺りをパシャパシャ撮っている異質な光景は緩和されますし、妻にとっても週末いろいろな所へ行ける、まさに一石二鳥とはこの事でしょう。
どうせなので動画も撮っちゃえ、ってノリでYouTubeに動画投稿するまでになりました。
そもそもスナップ写真とは?
【日常の緊張が取れた姿(カメラを意識しない姿)から撮影される人物の自然さ(による魅力)を引き出し、記録するもの】
と巷では言われている。
言葉にするとなんとも味気のない表現となる。
加えて、上記の説明では人が被写体として入る前提となっている。
・・・、
色々調べていく中で、初めて気付いた事だった。
「スナップ写真」とは、人が被写体として入ってないと成立しないということだ。
衝撃の事実だった。
ただ他の見解では【日常の中の出来事や風景などを、一瞬のうちに素早く撮影した写真】とも書かれている。
アメリカでは「クイックショット」や「イージーショット」などとも混同されており、総じて「スナップ写真」という造語は、コレッと断定されたものではなく、ある程度フワッとしたニュアンスで、個人の見解に委ねられているものだと認識した。
これからのスナップ写真の在り方
人にはみだりに肖像を撮影されない権利、がスナップ写真の大きな壁となっているのだが、やはり大事なことは、個人が特定される場合、被写体となった本人の許諾を撮っているかどうかということに尽きる、と私は思う。
最近某会社のプロモーション動画にて、スナップ写真の撮り方が問題となり炎上していたことは記憶に新しい。
結局は、撮った人間、撮られた人間の問題だけではなく、その作品を見た人がどう感じたかが一番大事なことであり、1人でも不快感を与えるような写真は一個人として撮らないようにしたいと考える、今日この頃でした。